元校長そして現在、学研文林堂教室指導者の独り言を記入していきます。
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東日本大震災で、
今、日本と日本人が試されているのではないでしょうか。
日本と日本人が問われているのではないでしょうか。
それは何だろうと考えます。
日本と日本人に試されているもの。問われているもの。
それは、みんなが一致団結できるかどうかです。
同じ民族として、同じ仲間として、
被災者と共に生きているという気持ちを持てるかどうか。
日本が一致団結して、この苦境を乗り越えていけるかどうか。
私たちはこれまで、お国のために団結することを否定してきました。
一人一人の個を大切にするあまり、
一つにまとまることが危険であるかのごとく、毛嫌いしてきたように思います。
私たちが今必要なのは、お国のためにとかでなく、
同じ国のなかまのために、一致団結するのです。
日本と日本人は、この苦境を乗り越えれると思います。
いや乗り越えないといけないのです、私たちの先祖のためにも、未来のためにも。
私は、大きなものを学ばされているという気持ちがしています。
今、日本と日本人が試されているのではないでしょうか。
日本と日本人が問われているのではないでしょうか。
それは何だろうと考えます。
日本と日本人に試されているもの。問われているもの。
それは、みんなが一致団結できるかどうかです。
同じ民族として、同じ仲間として、
被災者と共に生きているという気持ちを持てるかどうか。
日本が一致団結して、この苦境を乗り越えていけるかどうか。
私たちはこれまで、お国のために団結することを否定してきました。
一人一人の個を大切にするあまり、
一つにまとまることが危険であるかのごとく、毛嫌いしてきたように思います。
私たちが今必要なのは、お国のためにとかでなく、
同じ国のなかまのために、一致団結するのです。
日本と日本人は、この苦境を乗り越えれると思います。
いや乗り越えないといけないのです、私たちの先祖のためにも、未来のためにも。
私は、大きなものを学ばされているという気持ちがしています。
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先日の震災時は、3年生以上の児童が授業中でありました。
大揺れの後、児童全員を体育館へ避難させました。
あまりの揺れの大きさに泣き出す子もおりました。
本校では、保護者が児童を迎えに来るまで体育館で待避させることにしました。
緊急事態であり、集団下校と言えども、子どもだけで下校はさせられないと判断。
また帰宅後の子どもたちの不安を考えたら、こども一人にさせてはいけないと考えました。
本校は、「保護者が迎えに来るまで、子どもは学校で守る」という決断をしたのです。
本校の先生方も全員同じ気持ちでいてくれました。
保護者への電話連絡も付かず、みんな不安の中でありましたが、
あのような緊急事態に保護者の皆さんが各自の判断で、適切に対応してくださいました。
時間はかかりましたが、一人一人お家の人が迎えに来てくださいました。
お家の人を見つけると、子どもたちはほっとして、親御さんと一緒に帰って行きました。
あのとき、子どもたちは親のありがたさを強く感じたことでしょう。
きっと、一生そのことは忘れないことでしょう。
実は、私が小学校2年生の時に発生した新潟地震の際、
母親が迎えに来てくれて、一緒に帰ったことを私は今でも忘れません。
地震が怖かったことと、母親と一緒で安心したこと、今でも私の心の中心に残っています。
子どもたち全員が保護者にお引き渡しが出来たとき、うれしい気持ちでいっぱいでした。
適切な対応をしていただいた保護者の皆様に、心から感謝しております。
ありがとうございました。
大揺れの後、児童全員を体育館へ避難させました。
あまりの揺れの大きさに泣き出す子もおりました。
本校では、保護者が児童を迎えに来るまで体育館で待避させることにしました。
緊急事態であり、集団下校と言えども、子どもだけで下校はさせられないと判断。
また帰宅後の子どもたちの不安を考えたら、こども一人にさせてはいけないと考えました。
本校は、「保護者が迎えに来るまで、子どもは学校で守る」という決断をしたのです。
本校の先生方も全員同じ気持ちでいてくれました。
保護者への電話連絡も付かず、みんな不安の中でありましたが、
あのような緊急事態に保護者の皆さんが各自の判断で、適切に対応してくださいました。
時間はかかりましたが、一人一人お家の人が迎えに来てくださいました。
お家の人を見つけると、子どもたちはほっとして、親御さんと一緒に帰って行きました。
あのとき、子どもたちは親のありがたさを強く感じたことでしょう。
きっと、一生そのことは忘れないことでしょう。
実は、私が小学校2年生の時に発生した新潟地震の際、
母親が迎えに来てくれて、一緒に帰ったことを私は今でも忘れません。
地震が怖かったことと、母親と一緒で安心したこと、今でも私の心の中心に残っています。
子どもたち全員が保護者にお引き渡しが出来たとき、うれしい気持ちでいっぱいでした。
適切な対応をしていただいた保護者の皆様に、心から感謝しております。
ありがとうございました。
今日、矢島中学校の卒業式がありました。
12日(土)の予定でしたが、今日に延期になったものです。
そうです、あの未曾有の被害を出している東日本大震災があったためです。
無事、安全に式が出来てよかったです。
宮城県・岩手県。福島県の学校では、
卒業式の前にして災害に遭われ、
校舎を失ったり、親を失ったり、友を失ったりしているところがあるようです。
昨日の本校の卒業式、今日の中学校の卒業式。
生きて、仲間と共にいっしょに卒業できたことのありがたさを
今、感じているところです。
それにしても自然の力とは言え、あまりにも悲惨です。
また、その自然の力に対して、自分が何も出来ないことに、
力のなさを感じてしまいます。
だからこういう時こそ、人と人が手を取り合って生きるという
助け合いの精神が必要なんじゃないかなと思います。
「被災者のみなさん、
離れていますが、私たちもあなた方と共に生きている仲間です。
応援しています。がんばってください。」
12日(土)の予定でしたが、今日に延期になったものです。
そうです、あの未曾有の被害を出している東日本大震災があったためです。
無事、安全に式が出来てよかったです。
宮城県・岩手県。福島県の学校では、
卒業式の前にして災害に遭われ、
校舎を失ったり、親を失ったり、友を失ったりしているところがあるようです。
昨日の本校の卒業式、今日の中学校の卒業式。
生きて、仲間と共にいっしょに卒業できたことのありがたさを
今、感じているところです。
それにしても自然の力とは言え、あまりにも悲惨です。
また、その自然の力に対して、自分が何も出来ないことに、
力のなさを感じてしまいます。
だからこういう時こそ、人と人が手を取り合って生きるという
助け合いの精神が必要なんじゃないかなと思います。
「被災者のみなさん、
離れていますが、私たちもあなた方と共に生きている仲間です。
応援しています。がんばってください。」